TL;DR #

  • ドーパミン漬けの脳みそでは大企業の歯車は務まらない
  • 原始時代に憧れるも、現代に残るのはカルトだけ
  • 口先だけの批評家になるくらいなら、コードを書き続けるしかない

対象読者 #

  1. ``A Perfect Day for Bananafish’‘を読んだことがある
  2. ドーパミン中毒だと自覚している
  3. 「バイトをバックレたことがある」もしくは「入社後1年未満で転職をしたことがある」

1-3を同時に満たすモノ。満たせないなら帰れ。

バナナフィッシュ #

大体気持ちの悪い人間は大人になるまでにJ・D・サリンジャーにハマったことがある。たとえ文学少年・少女でなくとも、攻殻機動隊にハマって読んでしまった人も大体気持ち悪いだろう。彼の作品には「俺は人とは違う」と思っている・思われる登場人物がほぼ必ず出ており、そんな作品が好きな人間は全員気持ち悪い人間だからだ。

その中でも「バナナフィッシュにうってつけの日」は有名だ。本作は退役軍人の主人公が意味深なことを砂浜で少女に言い、最後にチャカで自殺するという話だ。俺も死ぬならそういう死に方がしたい。思えないやつ、もう一度対象読者を読め。

今作は主人公が戦場から帰り自身が生卵に戻れない温泉卵だと自覚してしまった物語だと俺は思っている。我々も科学技術の発展で温泉卵になってしまったのではないか。

ドパチフィッシュ #

現代に生まれた人間はもうドパチフィッシュに取り憑かれてしまった

インターネット空間はどうしてこうなった。世界の資本が投下され天才・秀才の考えたアルゴリズム・ソフトウェア・デザインが広告クリック数を最大化している。人々は大事な用事を押しのけ暇つぶしで動画を見させられ、最悪ではない職場で今よりちょっとマシな転職先について調べさせられ、今付き合える人よりももうちょっと「いい人」と付き合うためにマッチングアプリで無限右スワイプを脅迫される。この絶え間ない刺激に慣らされた脳にとって、現実世界は退屈で耐え難いものになるのだ。

資本主義2.0 #

ドパチフィッシュの虜と化した現代人である俺は、当然のように現代の労働に適応できない。特に、政府機関やハードウェア業界のような、意思決定の遅い巨大組織では息が詰まる。ソフトウェアの世界の目まぐるしい変化に慣れきった脳には、数年単位で進むプロジェクトは苦痛でしかない。だから常に転職を考える。

しかし、問題はそこではない。結局のところ、雇われている限りこの苦しみからは逃れられないのだ。会社の歯車であることに変わりはなく、自分のコントロールできる範囲はたかが知れている。真の自由を求めるなら、このシステム自体から抜け出すしかない。

俺がずっと心の奥底で求めているのは、原始共産主義的な生活だ。ドーパミンの発生源から離れ、自給自足で、コミュニティの中で助け合い、資本主義の競争から解放された世界。そこには生きるために必要な作業はあり、実感が伴う。しかし、現代においてそれを実践している集団は、アーミッシュやヤマギシ会のような、外部から見ればカルト的なコミュニティしかない。

カルト2.0 #

俺がそうしたカルトに惹かれるのは、バブル崩壊後に多くの若者がオウム真理教に救いを求めた構図と酷似している。実際、バブルがモノの洪水の時代だとすれば、現代は情報の洪水の時代だ。溢れんばかりの情報を推薦するシステムが我々の行動を豊かにする名目で制限している。

時代は繰り返す。人間は歴史から何も学ばない。溢れて、それを締め付ける。その繰り返しだ。

結局、俺は何をすればいいのか。皆目見当もつかない。

ただ一つだけ確かなのは、俺は単なる批評家や評論家にはなりたくないということだ。社会やシステムを憂い、嘆くだけの人間には価値がない。だとするならば、今はまだ、手を動かし、何かを作り出すエンジニアとして働き続けるしかないのかもしれない。(この結論を人生で18回くらい出している)際限なくドパチフィッシュを求める自分を飼いならし、批評家から逃れるための道は、今のところそれしかないように思えるからだ。

次回「脱批評家」 #

友達いますか?僕にはいません。

次回は俺が造っている友達について話す。